フランス革命についての省察4
- scallopshcolarship
- 4月29日
- 読了時間: 7分
フランス革命についての省察
エドマンド・バーク 著 二木 麻里 訳
光文社 古典新訳文庫 2021年第2刷
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読んだ箇所
P200~
宗教について述べていることに注目してまとめていく。
前提:イギリス全体も、バークもプロテスタント。
P216「教会と国家は心のなかでわかちがたく結びついている」
同(国の教会制度について)「この制度は憲法全体の基礎をなすもの」
P200「いまある宗教システムにもとづくことで、わたしたちは人類がごく初期に受けいれ、それ以来ずっと維持してきた感覚にもとづいて行動することになるからです。聡明な建築家のように、この感覚が国家という壮大な建物を建築したのです。」
P201「国家の既存の宗教制度をつうじて国家を聖別することは、健全な畏敬の心を自由な市民に持たせるためにも必要です。(略)国家と結びついた宗教、そして国家への義務と結びついた宗教は、自由な市民としてはるかに重要な意味を持ちます。」
P203「このため完全な民主制は、世界で最も恥知らずな体制で、最も恐れを知らない体制になります。」
P206「そして国家と法を神聖なものにする第一の原理、そして最も重要な原理のひとつは、国家や法をひとときあるいは終生になう人が、自分こそ国家や法の完全な主だというように行動してはならないということです。自分が祖先からなにを受け継いだか、子孫になにを受け継がせるべきか、考えるのを忘れてはいけません。」
P210~211のあたり、観念的でよくわからない・・・。
よくわからない言葉たち:「太古の偉大な契約」「すべての物質的自然と精神的自然をそれぞれふさわしい場所で保つという不可侵の誓い」「そしてその誓いによって聖なるものとされた低次の自然と高次の自然とを結びつけ、可視的世界と不可視の世界とを結びつけることをめざしているのです。」「無限の存在者への義務」「無秩序の状態を利用できるのは第一の至高の必然性だけです。」「いかなる議論も認めず、いかなる証明も必要としない必然性なのです。」「この必然性そのものが事物の道徳的秩序と物質的秩序の一部であって、人間はそれに同意するにせよ強制されるにせよ、この秩序に従順でなければならないのです。」
上記の言葉たちはよくわからないんだけど、上記「必然性」に服従しない場合、「法は破壊され」「理性と秩序と平和の世界から追放され、法の保護の外におかれます。」とのこと。怖い。
わからないなりに整理してまとめると、・神➩国家➩主権者➩市民という序列があり、神➩秩序➩国家➩法、学問、技芸、徳etc.と価値が波及していく?
・それから、神との契約を守らなければならない➩市民には社会の法律を守る義務がある・無秩序の状態を利用できるのは神だけ➩人間はいまある秩序に従うしかない
・国家があってこそ文明社会(学問、技芸、徳と完璧さ)が保護され、発展する。
P214「神はそのために国家を欲し、あらゆる完成されたものの源泉であり原型であるものと国家が結びつくことを欲した」
P219「イングランドの国民はこの教会制度に愛着を持っているからこそ、国全体の大きな基本的利害を、移ろいやすく不安定な個人の貢献に委ねるのは賢明ではないと考えたのです。とりわけ市民的公共サービスと軍事的公共サービスを個人に委ねるのは賢明とは言えないということです。」 P224「裁判所でも議会でも、司教の冠を戴いた宗教が、恐れることなく顔を上げていてほしいのです。生活のすべての場面に宗教が結びつけられ、社会のすべての階層とともにあることをわたしたちは望んでいます。」
宗教のために国家の富の一部が使われること(国家的宗教制度)は有益であり、「公共の慰め」になる。それは貧しい人に尊厳を感じさせる。つまり、国家の中に不平等があるのは仕方ないが、宗教的に「貧しい人は富める人と人間の自然な性質において平等になり、徳においてはより高い位置に立てる」と教えることで貧しい人の心を慰める。そういう宗教を国全体で信仰し、”国の指導的な人物”から”ささやかな財産と身分にとどまる人たち”まで同じ価値観を共有することで、社会の道徳と規律が守られる。
また、聖職者が国王に与えられる金銭に依存しないようにするため、教会の財産は守られなければならない。富や権力をもつ者たちが宗教指導者を侮らないように、聖職者が彼らからの施しに頼るようにならないために、教会は独立した財産を持ち、守るべきである。
フランス革命で教会財産が没収されたことについては以下のように述べている。
P229「聖なるものを奪いとり、財産を没収して、下院の予算委員会の財源にするなどというのは考えられないことなのです。」「フランス国民議会は、その第一の義務として所有権を保護するよう求められているにもかかわらず、教会の財産を不正直に、不敬虔に、残酷に没収したのです。」
P230「告訴されず審理されず裁かれてもいない数百、数千の人びとのあらゆる財産を、ひといきに没収しようなどと考える人物を暴君と呼ばずにいられるものでしょうか。」
感想:
聖職者とは違うけど、これまで公共のために働いていると考えられていた人たちが一転、国のお荷物扱いになって、財産を奪われたり報酬が与えられなくなったりするって、現代でも似たようなこと、公務員とか行政法人とかであるね。
私有財産が守られないと独立と尊厳が守られない、だからこそ国家は私有財産制を守らなければならない。この理屈はわかるけど、当時のフランスは貧富の差が非常に大きくて、聖職者と貴族の方が免税特権を持つなど税の負担感も少なかったんでしょ?(参考:もういちど読む山川世界史)
それなら、私有財産がほとんどない第三身分(平民)から税金を取り、私有財産をほとんど持たせないようにしていることは、私有財産制以前の問題では?私有財産なんてほぼない人が9割という社会で少数の財産家が「私有財産を守れ!それが国家の義務」と言っていても、個人のわがままに見えたのではないだろうか。
バークの時代はがちがちの不平等が骨の髄までいきわたっていて、もしくは国全体としての富がそこまで大きくなくて、「貧しい人を救うなんて無理、人数が多すぎてきりがないし、国家を語るときには庶民のことなんて関係ない、他の国と戦争したり外交したりするのが国家なんだから。国の優劣は一部の才能ある人たちが担っているもので決まる、第三身分にはそういうの期待してない。」くらいの感覚だったんだろうか。今の私たちが遠い国の人たちが難民になっていても「絶対救わなきゃ」とまで思わないのと同じような感覚で、自分の国の第三身分の人を捉えていたんだろうか。
ただし、第三身分の人たちは数が圧倒的に多かったので、いなくなったり、集団で反抗したり、絶望しきってしまわないように、ある部分では優遇して見せる必要があった。それが宗教で、貧しい人たちの心を慰めると同時に、今の社会に過度な不満を抱かせないようにもする。そして、その機能を担う教会はもっと優遇する。社会全体で敬う。
みんなが同じ宗教の敬虔な信者だった時代は、道徳も単純で、宗教と統治を結びつけることで国家が安定したんだな。(だから明治政府はそれを真似しようと人為的な宗教を作ってみたのかな…。)
現代では、資本主義の社会で不平等がある一方、民主主義によって誰にでも選挙権を与えることで平等な社会参加を認めている。バークの時代は、民主主義の代わりに宗教によって人間性の平等を教えていた。どちらも、不平等な現実と平等な価値観を両立させることで社会を調和させるしくみ。今は同じ宗教の信者だけで国を作れる方がめずらしいから、宗教の代わりになる大衆共通の慰めが必要。もしくは慰めとか必要ないくらいみんなが豊かに暮らせるようにする。でも、一票の平等って、慰めとして弱い。貧しい人が、「でも私には一票があるから!」って喜べる?それよりは、図書館で無料で映画見れるとかの方が嬉しいかな・・。やっぱり慰めとか必要ないくらい、ある程度の豊かさを全員が得られることを目指すべきなのか。
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