フランス革命についての省察 5
- scallopshcolarship
- 6 日前
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フランス革命についての省察
エドマンド・バーク 著 二木 麻里 訳
光文社 古典新訳文庫 2021年第2刷
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読んだ箇所
P227~450くらい(ゆっくり読み返しながら読み進めているので、よくわからなくなってきた)
この本だけだと革命直前のフランス社会のこととか、革命の進行についての具体的なことがよくわからない(当時を生きている人が当時の人に向けて書いているので、当時の状況とそこまでの歴史は知っている前提で話がされているため)ので、別にフランスの歴史を知るための本を買ってみた。
そちらも今後は読んでいきたいけど、とりあえずこの本についてまとめきろう。
P228「わたしたちとしては、そういう改革を要求するおしゃべりな人たちが、自分の所有物を共有にして、自分の人格も原始キリスト教会の厳格な規律にならうのを実際に目にしないかぎり、正直な熱狂家だとみなしたりはしないでしょう。」
P232「パレ・ロワイヤルとジャコバンのアカデミーで発見されたことにしたがうと、特定の人びとが法律と慣行と裁判所の決定のもとで、かつ千年にわたる時間的効力のもとで所有していた所有物の所有権が無効だというのです。」
P235「代表が国王であるか議会であるかにかかわらず、公共体が抵当に入れることができるのは公共財産だけです。」
P238「フランスが膨大な負債を抱えることによって、貨幣を所有する大階級がひと知れず成長し、巨大な権力を持つようになりました。」
P262「負債を支払うこともせず、教会の土地を売却してえられるはずの資金をよりどころに新しい紙幣を発行し、年利三パーセントで新しい負債の契約を結んだのです。この新紙幣が発行されたのはなによりも、かれらの虚構の富を作り出す偉大な装置であり紙幣印刷所でもある割引銀行の要求を満たすためでした。」
P267「人々がかれらの行為と計画を容認するにいたったのは、もはや第三の道はないのだという仮説のためです。すなわち歴史の記録や詩人たちの想像でえがき出された最も卑劣な圧政か、それともかれらの計画か、その中間はないという仮説です。」
P268「世襲の富と世襲の尊厳で制御されてバランスがとれている君主制」「世襲の富と世襲の尊厳のどちらもが、しかるべき常設機関をつうじて行動する国民全般の理性と感情によって健全なかたちで制御されている、そういう君主制」
P270「アリストテレスは、民主制は圧政と驚くほど共通点が多いと述べています。民主制で激しい分裂が広まる場合(民主制ではつねにそうならざるを得ないのですが)、市民の多数派は少数派に対してきわめて残酷な抑圧をおこない得るとわたしは考えています。」
P274「これらの地域では、世界で最も温暖な気候にあるすばらしい国々が、戦禍に苦しむどの国よりも平和によって荒廃させられているのです。これらの国では技術というものが知られず、製造業は滅亡し、科学は消滅し、農業は衰退し、それを目撃している人々の目の前で、人類そのものが姿を消していくのです。」(ペルシャ、トルコの専制政治について)
P336「良き政治家は、改善する能力と保存する傾向を両方もっているものだとわたしは考えています。そうでない政治家は思考においては低俗、実行においては危険なのです。」
P337「叡智は素材を創造することはできません。素材は自然の贈り物、あるいは偶然の贈り物だからです。叡智の本分は、素材を使いこなすことのほうにあります。」
P361「真の立法者は鋭い感受性に満ちた心をそなえているべきです。」「究極の目的を直感で一瞥して把握することは、資質としてはゆるされるでしょうが、じっさいにその目的を実現するにあたっては慎重に進むべきなのです。」
感想
バークとフランス革命を主導している人たちとの考えが相いれない原因は、聖職者を敬う価値観があるかないか、教会財産の没収と売却についての考え。バークは、教会財産は教会のれっきとした私有財産であり、国家が没収することはできないと考えている。そして、所有権の侵害は社会の秩序の根幹を脅かす行為であるとして強く非難している。 (P328「破壊されるのは所有権だけではありません。安定性をもたらす規則や原理もすべて破壊され、それを流通させる唯一の手段まで破壊されるのです。」)
聖職者が私有財産を失い、国家に与えられる年金制度で生計を立てるようになったことについて、尊厳が維持できなくなる、”キリスト教廃絶計画”だとして拒絶する立場をとっている。
バークの主張の根底には、あっという間に高貴な立場から追いやられた聖職者・貴族への同情がある。これまで名誉ある地位と生活を維持していた人々をあまりにもみじめな境遇に追いやっている、という。相手も人間なのに、(バークによるとそのへんの人達よりずっと立派な人間なのに)、可哀そうすぎる、と。ここでバークが批判の焦点をあてているのは、貨幣階級や、国民議会の多くを占める田舎の弁護士や司祭、一部の貴族たち。真にみじめな労働生活を送っていた民衆には同情を寄せている。(長い長い”省察”の中でほんのちょっぴりの言及だけど。)
結果、フランスは現在でも非宗教的共和国だとはっきり宣言しているので、バーク的価値観とは決別したまま。バークが批判していた「宗教をまったく持たない国家のほうがうまく存続できるという見解」、宗教の代わりは「教育によって供給できる」「教育によって人間の心は啓蒙された利己心へと段階的に導かれるし、その利己心は、正しく理解されればさらに拡大された公共的利益と一体になる」「こうした教育計画は・・・(中略)公教育というのです。」(以上P318より)は現代では当たり前のものとなっている。
バークが擁護していた身分制や宗教的価値観による社会秩序の維持という主張は古くなってしまったわけだけど、やはり現代でも無視できないところはあって、全員平等の民主制で正しい国家運営ができるのか?とか、政治において経験のある人・政策について考えぬいているような人とまったく無知な人・貢献していない人の意見(票)が平等に扱われていいのか?という面では問題が残っている。
ただし、最近では子どもたちこそ未来の社会に利害関係を持っているから、子どもの意見を政策に反映させようという動きも出ていて、それはそれでもっともだなぁとも思ったり・・・。めちゃありきたりな結論だけど、まったく違う価値観が拮抗している状態が意外といいのではないか。フジテレビだって、まじめな報道するべきニュース番組にバラエティの要素を加えた目覚ましテレビとかが人気だった。バランスが崩れてバラエティ部門が報道部門より明らかに強いって状態になっちゃったから女子アナが芸人に嫌な目にあわされて人権問題になってしまって・・・。はがゆくても、自分の原理原則から見ておかしくても、敵を徹底的に排除するより、対立しつつも共存しないといけないのかもしれない。
貨幣階級と銀行家についても徐々に言及が始まった。貨幣階級と文筆家のプロパガンダによって聖職者と貴族・王家が不当に貶められ、民衆から憎まれるようになったと。また、新政府が発行する新しい通貨に強制切り替えされたことにも強い疑念を持っている。
次回はこの辺りをまとめていきたい。
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